概要

萬鉄五郎《宙腰の人》1924 年 平塚市美術館蔵
【企画展】アーティストin湘南1
萬鉄五郎×岸田劉生-その仲間たち
2016 年4月16日(土) ~6月12日(日)


開館時間 9:30 ~ 17:00(入場は16:30 まで)
休館日      月曜日
観覧料金  一般400(320) 円、高大生200(160) 円、小中学生無料
       ※( ) 内は20 名以上の団体料金
       ※中学生以下、毎週土曜日の高校生は無料
       ※各種障がい者手帳をお持ちの方と付添1 名は無料
       ※65 歳以上で平塚市民の方は無料、市外在住の方は団体割引
         (年齢・住所を確認できるものをご提示ください)

主催         平塚市美術館

開催日数  50日間
観覧者数  7,409名 

担当         安部沙耶香(当館学芸員)

詳細

木村荘八《祖母と子猫》1912 年 東京都現代美術館蔵
 萬鉄五郎と岸田劉生、日本の近代美術を語る上で欠かせないこの二人は大正期に湘南の地で過ごしています。湘南地方は明治期に別荘地や療養地として独特の文化が生まれました。この湘南に大正期、萬、劉生が転地療養のためやってくると、彼らを慕う画家たちも集うようになりました。本展覧会では萬鉄五郎と岸田劉生の二人にスポットを当て、彼らに影響を受け、ともに活動を続けた7 人の画家たちを当館の所蔵品を中心にご紹介いたします。
 1912( 大正元) 年、新しい表現を求める若き画家たちが集ったヒュウザン会に萬、劉生ともに参加します。第1 回展は世間の注目を集めましたが、当初より会則も方針もなく発足した団体であったため、翌年の第2 回展開催後に解散となります。その後、劉生は代々木に転居し、友人の肖像を次々と描く「劉生の首狩り」時代へと入ります。やがて、東京郊外の新開地の赤土が目立つ風景を描き始め、1915( 大正4) 年、木村荘八、中川一政、椿貞雄らとともに草土社を結成。戸外での写生により、独自のリアリズム表現を模索しますが、体調を崩し肺結核と診断されました。これにより、1917( 大正6) 年、療養のため鵠沼に転居します。一方、萬は郷里土沢に戻りましたが、制作に没頭するあまり、神経衰弱となり肺結核と診断されます。これにより、1919( 大正3) 年、療養のため茅ヶ崎に転居することになりました。こうして、二人の画家が湘南で活動を始めます。1922( 大正11) 年、小杉未醒、山本鼎らにより、春陽会が設立されると、萬、劉生は客員として参加します。原精一、森田勝、鳥海青児の3 人は萬、劉生に私淑し、春陽会にも参加するようになりました。1927( 昭和2) 年に萬、1929( 昭和4) 年に劉生が亡くなりますが、彼らが湘南の地で他の作家に与えた影響はとても大きいと言えるでしょう。
 本展覧会は、大正期から戦前までの湘南の地で生まれた日本近代洋画の展開を検証するものです。

関連事業

河野通勢《自画像》1918 年 横浜美術館蔵
■学芸員によるギャラリートーク

日時 5月14日(土)、6月11日(土) 
各回 11:00 ~ 11:30 場所:展示室1 
※申込不要、要観覧券
参加者数 20名、35名