平塚は、江戸時代に東海道五十三次の宿場町として栄え、明治年間の1887年(明治20年)に鉄道(現在のJR東海道線)が開通すると、平塚駅を中心に発展してきました。
1932年(昭和7年)4月1日、横浜、川崎、横須賀に次いで、県下で四番目に市となり、商工都市としての第一歩を踏み出しました。
第二次世界大戦で大きな被害を受けましたが、戦後、焦土のなかから再び復興へと力強く歩み始め、1954年(昭和29年)から1957年(昭和32年)にかけて、1町7村を合併し、現在の市域となりました。その後、都市施設や市街地の整備が進み、商工業の成長とともに住宅地としても発展し、現在に至っています。

関東地方から西南の地域に多く、若葉が美しく樹形が雄大な常緑の高木です。市役所前の街路や平塚八幡宮にも見事な並木と林が見られます。
(昭和57年4月1日制定)

山や野原に生える多年草で、夏から秋にかけてピンク色の美しい花を咲かせます。自生のかわらなでしこは、土沢方面の丘陵地などで見られます。
(昭和57年4月1日制定)

くちばしは長めで年間を通して黒く、足の指だけが黄色です。夏羽では、羽冠と呼ばれる白い飾り羽があり、他のシラサギ類と容易に区別できます。本州以南に留鳥として分布し、金目川や岡崎等の水田で見られます。(平成14年10月1日制定)

昭和7年4月1日の市制施行を記念し、一般から公募したもので、同年10月1日に制定されました。図案は平塚市の「平」という文字をデザイン化したものです。

河野一郎 氏の銅像
河野一郎 氏 Kohno Ichiro 1898-1965
1932年衆議院に初めて議席を得、以来当選11回。農林・建設・国務の各大臣、行政管理庁長官・経済企画庁長官を歴任、わが国の隆盛と地方自治の振興に大きく貢献。1965年7月27日に平塚市名誉市民の称号が贈られました。
比企能達 氏の銅像
比企能達 氏 Hiki Yoshisato 1893-1968
1893年平塚市に生まれる。日本大学学長、国立がんセンター総長を歴任。わが国医学の進歩と教育文化の向上に大きく貢献。1968年12月25日に平塚市名誉市民の称号が贈られました。
河野謙三 氏の銅像
河野謙三 氏 Kohno Kenzo 1901-1983
1901年生まれ。1949年衆議院議員に初当選後、参議院に転じ5期30年在職。参議院議長、日本体育協会会長などを歴任。わが国の隆盛と地方自治の進展に大きく貢献。1983年9月30日に平塚市名誉市民の称号が贈られました。

平塚は、高い生産力を持った工業と農・漁業、そして商業がバランスよく調和しているまちです。
工業では、旧海軍工廠跡地や相模川西岸に沿って工業地域があり、化学工業、金属製品製造業、輸送用機械器具製造業などの工場が立地しています。特に、自動車関連の工業地域としての特色をもっています。
農業では、県下でトップクラスの生産高を誇る米や、全国屈指の生産高のバラ(平塚の特産品)のほか、野菜などがオールラウンドに生産されています。名産品として、さつまいも(栗まさり)やキュウリなども有名です。また、漁業も相模湾を中心とする近海の魚介類の高い収穫高があり、新鮮な海の幸が身近に楽しめます。
商業 では、JR平塚駅周辺の中心商店街をはじめとして、市内各地区に商店街が形成され、市民の日常の買い物の場として利用されています。また、最近では、国道129号線を中心に、ロードサイド店の出店も増えつつあります。なお、中心商店街は、毎年7月に開催される「湘南ひらつか七夕まつり」のメイン会場となります。

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