7月定例市長記者会見・旧横浜ゴム平塚製造所記念館が来春オープン 平塚の歴史を刻んだ歴史的建造物の愛称募集

平成20年7月24日

 

平塚市側の説明

大藏律子市長:
 
旧横浜ゴム平塚製造所記念館の愛称募集
 
 旧横浜ゴム平塚製造所記念館が来春オープンすることになりました。そこで、平塚の歴史を刻んだ歴史的建造物に愛称を募集したいということでございます。そのご説明を申し上げます。
 
 八幡山公園内に平成21年4月のオープンを目指しまして、移築復原工事を進めております「旧横浜ゴム平塚製造所記念館」は、明治時代に建設された市内唯一の洋風建造物でございます。美的装飾を施した、例えば塔屋などを始めとします外観などが高く評価されまして、すでに国の登録有形文化財に登録されております。
 
 昭和20年の空襲の戦禍に耐え、貴賓室や将校たちの社交場としても利用されてきた記念館でございます。ここを移築・復元して開館後は、ミニコンサート会場やギャラリーなど多目的施設として生まれ変わらせたい。そして、平塚の歴史を刻んだ平和のシンボルとして保存するとともに、都市空間に潤いをもたらす市民の憩いの場として次世代に引き継いでまいりたい、そう思っております。
 
 この記念館と記念館の中に市民利用を考えております会議室等の愛称募集についてでございます。
 
 平塚の歴史を刻み込んだ建物を恒久的に保存し、多くの利用者に愛されますよう、わかりやすく親しみやすい愛称を募集したいということでございます。
 また、記念館内には2つの部屋を会議室として設置してございますので、大勢の市民に愛着をもって有効に活用していただくために、親しみやすい愛称を募集いたします。
 
 募集期間は8月15日から9月15日まで。応募資格は、平塚市内に在住・在学・在勤の方を対象といたします。
 応募方法は、必要事項を記入の上、はがきやファクス、電子メールのいずれかの方法で、ご応募をいただきたいと思っております。応募は1人につき1点以内で、記念館の愛称のみでも募集は可能ということとしてございます。
 
 以上が、平塚製造所記念館がオープンにあたっての愛称募集のご説明でございます。
 
 ここ(市長に向かって右側)に外観を模したもの(絵)を貼らしていただきましたし、また参考資料として、旧横浜ゴム平塚製造所記念館の概要ですとか図面等も添付させていただきましたので、ご参考にしていただければと思います。
 
 

質疑内容の要旨

 
 
Q記者:記念館の愛称と会議室の愛称を別々に募集するということか?
 
A市長:はい、そうです。
 
Q記者:会議室が2つあるということは、2つの会議室を「○○の間」「○○の間」として募集するということか?
 
A市長:そうです。
 
Q記者:(完成後の記念館は)どこが管理するのか。市が管理するのか?
 
A社会教育課長代理:管理は、平塚市がやります。
 
A社会教育部長:一応、指定管理者を導入する予定です。
 
Q記者:この絵と、絵の作者である吉川さんを新聞に掲載しても構わないか?
 
A市長:著作権があるかどうかということですね。
 
A広報・情報政策課長:ご本人から、ご了解を得ておりますので、どちらでもということでよろしくお願いいたします。
 
Q記者:今も、(記念館の)外観は撮影できるのか?(工事用の)柵に囲まれているのか?
 
A市長:現在もう柵は外してございます。
 
A社会教育部長:現在、柵はないのですけれど、8月から今度外構工事が始まりますと、多少前ほど高くはないのですが、低めの仮囲いができます。ただその中に入れば撮れますが。今のうちだったら、全景は撮れると思います。
 
A社会教育課長:周りに番線が張っておりますので、この前、広報・情報政策課でも撮りに行った時に上手くは撮れなかったのですが…。(柵の)中に入れば(撮影は可能です)。
 
Q記者:記念館の中には入れるのか?
 
A社会教育課長:入るのは入れます。連絡いただければこちらの方で(取材の)対応をいたします。
 
 
湘南ひらつか七夕まつりの人出
 
Q記者:今年の七夕まつりの来場者が240万人と、かなり減った。確かに天気が悪かったこともあるが、今までで一番落ち込んでいるようで、将来ますます右方下がりにならなければいいと思っている。
 
 来場者が減った理由として天候を挙げているが、それだけなのか…。市民飾りなどは増えているものの、七夕まつり全体で商店街に活気がなくなっている。住民の代表者も「昔の方がはるかに迫力があって、竹飾りも立派だった」と話していた。市長はどう考えるか?
 
A市長:(竹飾りの)数的には、商店街が出す数は減ってきております。商店街は大掛かりで、市民飾りよりもかなり大きいですからボリュームがありますから派手さもありますが、お話をうかがうところ、わたくしも「昭和40年代ほどではない。あの頃が一番たくさん出たね」っていうのは、商店街の先輩方のお話で今回も伺いました。
 
 ただ、人数につきましては、どれが正しい人数かっていうのをはじき出すのは大変難しいことで、だから基準をどうするかというと、やはり前年からどうだったかという見方を一般にはしがちなんですけども、(今回の七夕まつりの来場者数発表でも)限りなく実態に近づける数値の発表に心がけたいということをさせていただきました。
 
 実行委員長もおりますので、その(来場者数を)はじき出すのにどういうものを参考にしてはじき出しいたかということを説明させます。
 
A鍵和田副市長:JRの乗降客、あるいは神奈中のバスの利用者というものは当然(算定根拠に)あります。あとは、今市長が言いましたように、金曜日がスタートだったのですけれど、金曜日の午前中・昼間がすごく少なかったと…夜になって盛り返しましたけれども、そういった実態があるということで、金曜日が少なかったといことが明らかだったのでそういった点を総体的に考えて(今年の人出は)240万人と決めさせていただきました。
 
Q記者:そうではあるが、土日を挟んで非常にいい条件の日程だったと思うがどうか?
 
A鍵和田副市長:金・土・日(曜日)は(人出が)出ていますから…去年よりも日曜日は増えていますし…
 
Q記者:七夕まつりも注目を浴びているが、世間全体でいろいろな所でイベントを行っており、来場者が右方下がりにならなければいいと思っている。
 
 来場者はみんな喜んでいるようだが、ある人は「滞在時間が短かかった」などと話している。自分も「何かもうひと工夫必要ではないか」と思った。市民飾りの増加などは今年の目玉としているが、来年以降は何か新しいことを考えないと、去年来た人は「今年はいいや」という人が増えてくるのではないかと…。
 
 茅ヶ崎の浜降祭などに比べても七夕まつりには動きがない。もう少し工夫しないといけないと思うが市長はどう考えているか?
 
A市長:貴重なご意見として承り、今年の反省を踏まえて次年度に生かしたいと思いますが、昨年あたりから、会場を分散させまして、市民参加型の祭りにだんだんしていきたいと…。飾りのみではなくて「参加する」ということで見附広場を…今は芝生のオープンスペースになっているわけでございますが、あそこの舞台はかなり活発に昨年よりも一昨年からしても比較にならないほど、よさこい(踊り)があったり、おやじバンド(のライブ)をやったり、ハワイアン(ダンスショー)があったり、小さい子どもから高齢者まで、男も女も問わず幅広い多くの団体の方がそういう楽しみ方をするようにもなってきたというふうに思っておりまして…。
 
 七夕まつりと言うと竹飾りがメーンではありますけれども、その別な七夕の期間に、ふれあい・出会いをしたいというイベントもそういう(見附台広場のような)会場を使ってやられるようになってきたというのが、最近の特徴として、こちら(実行委員会側は)力を入れてきている所でございます。今後またどういうかたちで拡大・評価できるかというのを考えさせていただきたいと思います。
 
 
※定例市長記者会見における質疑内容を広報・情報政策課広報担当でとりまとめて掲載しています。
 
 
記者発表資料
 
 
 
平塚市
担当 社会教育課 文化財保護担当
電話 0463-35-8130
 
 

旧横浜ゴム平塚製造所記念館が来春オープン

平塚の歴史を刻んだ歴史的建造物の愛称募集

 
 
 八幡山公園内(平塚市浅間町)で平成21年4月のオープンを目指して移築復原工事を進めている「旧横浜ゴム平塚製造所記念館」は、明治時代に建築された市内唯一の洋風建造物。美的装飾を施した外観などが高く評価され、国の登録有形文化財にも登録されています。
 空襲の戦禍に耐え、貴賓室や将校たちの社交場としても利用された記念館。開館後は、ミニコンサート会場やギャラリーなど多目的施設として生まれ変わります。平塚の歴史を刻んだ平和のシンボルとして保存するとともに、都市空間に潤いをもたらす市民の憩いの場として次世代に引き継いでいきます。
 

旧横浜ゴム平塚製造所記念館と会議室の愛称募集

(完成イメージ 絵:吉川嘉郎さん 平塚市明石町) 
  • 7月定例市長記者会見の写真
 平塚の歴史を刻み込んだ建物を恒久的に保存し、多くの利用者に愛されるよう、わかりやすく親しみやすい愛称を募集します。
 また、記念館内の会議室(2部屋)についても、大勢の市民に愛着をもって有効活用していただくため、親しみやすい愛称を募集します。
 
募集期間
 平成20年8月15日~9月15日
 
応募資格
 平塚市内に在住・在学・在勤の方
 
応募方法
 必要事項を記入の上、はがき・ファクス・電子メールのいずれかの方法でご応募ください。応募は1人につき、それぞれ1点以内で、記念館の愛称のみでも応募可。
 記念館の愛称(ふりがな)、会議室(2部屋)の愛称(ふりがな)、各愛称の理由、住所、氏名(ふりがな)、年齢(学年)、電話番号
 
応募先
 〒254-8686 平塚市教育委員会 社会教育
 ファクス:0463-34-5522
 
賞と表彰
 愛称として決定した応募者に賞状と記念品を贈呈(当選者多数の場合は抽選)。表彰式は、記念館の開館式典で実施します。
 
 

記念館の館内及び復原後の施設活用方針

 
建物面積
 記念館~木造平屋建て一部塔屋付き 総床面積195.11平方メートル
 管理棟~鉄骨造平屋建て        総床面積120.02平方メートル
                            合計315.13平方メートル
 
活用方法
 旧応接室=復原展示室   旧第一会議室=貸室
 旧第二会議室北=貸室   旧第二会議室南=展示室
 そのほかに厨房があります。
 

移築復原の経緯

 
平成13年12月 横浜ゴム(株)から平塚市に「耐震性に問題があるので取り壊したい」と申し入れ
 
平成16年 4月 横浜ゴム(株)から贈与
 
平成16年 7月 国の登録有形文化財(建造物)として登録
 
平成16年 9月 解体収集工事着工
 
平成16年10月 八幡山公園への移築・復原決定
 
(平成16年度  市民公募によるワークショップで活用方法等を検討)
 
平成18年 5月 移築復原工事の実施設計に着手
 
平成19年 6月 復原工事着工
 
平成20年 6月 記念館本体工事完了
 
平成21年 3月 外構工事完了(予定)
 

平成21年 4月 オープン(予定)

 
※復原工事費 2億7900万円(平成18~20年度 3か年継続事業)
 
 

旧横浜ゴム平塚製造所記念館の概要

 
 旧横浜ゴム平塚製造所記念館は、平塚市内では唯一、神奈川県内でも数少ない明治時代の洋風建造物。関東大震災での倒壊を免れた上、平塚空襲(昭和20年)の戦火でも焼け残りました。創建されて以来、平塚の歴史とともに存在し続け、国の登録有形文化財にも登録されています。
 無煙火薬を製造していた日本火薬製造の支配人執務室として創建。大正8年に日本火薬製造が日本海軍に買収され海軍火薬廠となってからは、将校クラブ(横須賀水交社)の応接室、娯楽室、食堂として賑わったほか、横浜ゴム時代は、主に会議室、貴賓室として利用されて来ました。
 明治期の洋風建築の特徴をよく表わした木造平屋造りの建物は、主屋の塔屋とアーチ型の窓など美的装飾を施した外観が特徴。また、二方に張り巡らせたベランダや八角形平面のベイウィンドウなども高い評価を得ています。
 今後は、資料的な復原展示室、ミニコンサート、ギャラリー、会議、安らぎと憩いの場等に、多目的に有効活用する施設を目指します。
 
建設年
 明治39年か40年の建築物と推定されています。
 
設計者
 日本火薬製造平塚工場の建設監督として英国ノーベル社から派遣されたカーリとその補助ウィルソンによって設計されたと推測されています。
 
構造
 木造平屋、塔屋付
 
建築面積
 225.90平方メートル (応接室、第一・第二会議室、トイレ、ベランダ)
 
仕上げ
 屋根平鉄板葺 外壁ドイツ下見板張
 
基礎
 石造および煉瓦造(一部コンクリート)布基礎
 
建物の評価
 「神奈川県近代洋風建築調査報告書」(執筆:吉田鋼市横浜国立大学教授)では、「小規模ながら明治期の木造洋風建築の佳品たることは確かである」と評価されています。建築的な特徴として、よく整った塔屋の形、主屋のアーチ型の窓やその上下に施された装飾、北側の壁に設けられたベイウィンドウ(出窓)などが挙げられます。
 また、日本火薬製造~海軍火薬廠は、その後の多くの軍需工場進出の礎となり、平塚市の工業の発展に大きく影響を与えた一方、平塚が空襲を受ける一因ともなりました。この建物は、日本火薬製造時代の施設で現存する唯一の遺構であり、平塚の近代史のシンボルとしても評価できます。
 
  • 旧横浜ゴム平塚製造所記念館のスケッチ