平塚市美術館へ作品寄贈

平成25年2月15日


平塚市
担当 美術館 学芸担当 端山
電話 0463-35-2111
 

平塚市美術館へ作品寄贈


 画家・河野通勢(こうのみちせい)のご子息、河野恒人(こうのつねと) 氏と、画家・木下晋(きのしたすすむ)氏より、合計156点の作品が平塚市美術館へ寄贈され、落合克宏市長が感謝状を授与いたします。


日時   平成25年2月19日(火) 午後2時00分~3時00分


場所   平塚市美術館 特別応接室
      (平塚市西八幡1-3-3)


内容   感謝状の授与及び御礼を兼ねた歓談


出席者  寄贈者
       落合克宏市長、金子誠教育長、後藤信幸社会教育部長、草薙奈津子美術館長ほか


寄贈者及び寄贈点数

河野恒人さん(大阪府高槻市在住)   153点

木下 晋さん(東京都世田谷区在住)    3点
                     

寄付に至った経緯

河野通勢作品
 平塚市美術館で2008年2~3月に特集展「大正の鬼才 河野通勢  河野通勢 新発見作品を中心に」が開催されたことを機に作品が寄託され、今回の寄付に至った。


木下晋作品
 平塚市美術館で2012年4~6月に特集展「木下晋展 ―祈りの心―」が開催され、それを機に今回の寄付に至った。
 

 

作家略歴

 河野通勢(こうのみちせい)(1895-1950/明治28-昭和25)は群馬県伊勢崎市で生まれた。旧制中学校在学中には油彩画家関根正二(せきね・しょうじ)と交友があった。1914年二科展入選。1917年文展入選。1917年岸田劉生(きしだ・りゅうせい)と親密な交際をはじめ、翌年劉生らが設立した草土社へ作品を出品、以後1922年まで出品する。1924年春陽会展に出品し春陽会賞受賞。のち国画会、大調和展出品。エッチングや日本画も手がける。『項羽と劉邦』の挿絵のほか、大衆小説の挿絵を多く手がけ活躍した。東京にて没した。


 木下晋(きのしたすすむ)(1947/昭和22 富山市生まれ)は、中学時代に富山大学で開催された研修会に参加し、彫刻と絵を学んだ。16 歳の時に最年少で自由美術協会に入選した後、画家の麻生三郎や美術評論家の瀧口修造らと出会い、その影響を受け、また、美術批評でも知られた現代画廊の洲之内徹にも認められ作品を発表しました。1981 年に渡米し、ここで作品のオリジナリティーの重要性を痛感した木下は、かねてから意識していた色彩の問題を解決すべく、鉛筆によるモノクロームの新たな表現方法に取り組んだ。従来、習作として扱われる鉛筆画の可能性を拡げ、本画(タブロー)に匹敵する表現力を追求した。10H から10B の鉛筆を駆使することにより、他に類例をみない独自のリアリズム絵画が生まれ、最後の瞽女(ごぜ)と言われた小林ハルや、谷崎潤一郎『痴人の愛』のモデル和嶋せい、元ハンセン病患者の詩人桜井哲夫、また自身の母などをモデルとして作品を発表し、モノクロームの光と影による圧倒的な表現で現代絵画に新たな領域を確立した。