12月定例市長記者会見 広報ひらつかデジタルアーカイブを公開

平成25年12月18日

平塚市側の説明

 

落合克宏市長:
 平塚市の広報「広報ひらつか」の1000号発行に合わせ、これまで発行された広報ひらつかをデジタル化し、市ウェブ上で12月18日から公開いたします。これにより、平塚市の現代史や広報紙の変遷をインターネットで簡単に見ることができるようになります。
 平塚市の広報は、戦後間もない昭和24年10月20日に創刊し、平成26年2月第1金曜日号で1000号を迎えます。
 これまでも縮刷版、これは1号から500号までを5冊にまとめたものですが、この縮刷版を平成6年3月に発行しております。その後、隔年で2年分の広報紙をまとめた合本版などを発行し、図書館や公民館などで利用できるようにしてまいりました。
 今回、資料の散逸や経年劣化を防止しつつ、幅広く利用できるようにするため、デジタルアーカイブにいたしました。縮刷版や合本版から広報紙をPDF形式に変換し、インターネット上で本日朝から公開しております。
 周辺自治体で広報アーカイブを公開しているのは小田原市だけです。
 事業費は、システム構築など約83万円です。
 公開内容は、広報1面の画像と、全ページのデータを年度単位にまとめて公開いたします。
 総公開数は、号外・特集号などを含め、現在1090号です。
 関連イベントとして、「広報1000号展」を2月1日から16日まで、博物館2階情報コーナーで開催いたします。パネルや写真、縮刷版などで広報紙の歴史やさまざまな広報媒体を紹介する予定でございます。
 広報の主な歴史は資料にあるとおりでございます。
 
 

質疑内容の要旨

 

Q記者:周辺自治体で広報アーカイブを公開しているのは小田原市だけとのことだが、周辺とはどのあたりまでのことか?
A広報担当課長:県内の市です。

Q記者:1面だけが画像で、あとは文字の羅列となっているということか?
A広報担当課長:(1面以外も)すべて画像データ(PDF)です。

Q記者:最近の号は電子書籍として配信していると思うが、今回はすべてPDFの1枚画像のデータか?
A広報担当課長:平成23年から電子書籍の配信を行っていますけれども、それとは違い、全部PDFで読み込んだデータです。

Q記者:そのPDFからは、文字情報を引き出すことはできないということか?
A広報担当課長:そうです。

Q記者:実際に見てみてどうか?
A市長:歴史を遡って見ることができるので、平塚の色々な画像を見て、また文章を見てこれまでの歴史を振り返ることができ、まちの成り立ちなども思い返すことができるという、大変貴重な資料になるのではないかと感じています。(市ウェブでは)第1面を並べて見られるようになっているので、その時々の話題になった事象もわかるようになっています。

Q記者:広報の「こう」の字は、昔は「弘」という字を使っていたのか?
A広報担当課長:(本市では)創刊号から(一時期を除き)昭和30年まで「弘」の字です。

Q記者:当時は一般的に「弘」の字を使っていたのか?
A広報担当課長:調べてご回答します。<当時は一般的だったようです>

Q記者:アーカイブにある広報は音声読み上げはできないのか?
A広報担当課長:PDFのページなので、音声読み上げはできません。

Q記者:拡大しても読みやすくなっているか?
A市長:十分読めます。

Q記者:最初の号の発行者「弘報委員会」とは、どのような組織なのか?平塚市の組織ということでよいか?
A広報担当課長:小田原市も昭和25年から広報を発行しており、(創刊号に)廣報委員会の記載があります。自治体の広報は戦後GHQの指導で始まったと思いますが、弘報委員会については・・・。
A市長:(後ほど)調べて、ご説明したいと思います。<平塚市弘報委員会は昭和24年4月に結成されました。21人(名簿掲載は20人)の組織で、肩書は、委員長は商工会議所、副委員長は市議と婦人会長で、委員は新聞社などとなっています。仕事の内容は公共機関の情報を伝達すること。社会の声を聞き、その趣旨を宛先へ伝達して回答を求めることとされています。 ※創刊号に掲載されている内容を秘書広報課広報担当でとりまとめました。>

Q記者:欠落している号があるのは、何か理由があるのか?
A市長:(詳細は分からないが)何らかの形で抜け落ちてしまったのではないかと思います。

Q記者:欠落している号(10号・25号・26号)が発行されたのはいつか?
A広報担当課長:10号は昭和26年2月15日号。25号は昭和27年9月15日号、26号は昭和27年11月15日号であると思われます。
 

その他の質問

特にありませんでした。

 

定例市長記者会見における質疑内容を秘書広報課広報担当でとりまとめて掲載しています。

記者発表資料

平塚市
担当 秘書広報課 広報担当 仲手川
電話 0463-21-8761
 

広報ひらつかデジタルアーカイブを公開

 

 平塚市の広報「広報ひらつか」の1000号発行に合わせ、これまで発行された広報ひらつかをデジタル化し、市ウェブ上で12月18日から公開します。平塚市の現代史や広報紙の変遷をインターネットで簡単に見ることができるようになります。
 平塚市の広報は、戦後間もない昭和24年10月20日に創刊し、平成26年2月第1金曜日号で1000号を迎えます。
 これまでも縮刷版(1~500号分・5冊)を平成6年3月に発行した後、隔年で2年分の広報紙をまとめた合本版などを発行し、図書館や公民館などで利用できるようにしてきました。
 資料の散逸や経年劣化を防止しつつ、幅広く利用できるようにするため、今回、デジタルアーカイブにしました。縮刷版や合本版から広報紙をPDF形式に変換し、インターネット上で公開します。


公開日     平成25年12月18日(水曜日)

事業費    システム構築など 約83万円

公開内容   広報1面の画像と、全ページのデータ(PDF形式)を年度単位にまとめて公開。
       号外・特集号などを含め、1090号(12月18日現在)。
 

1000号発行に関連する事業

  広報1000号展
  日時 2月1日(土曜日)~16日(日曜日) 午前9時~午後5時
  会場 平塚市博物館2階情報コーナー

 また、何らかの事情で欠落している号(10号・25号・26号)もあるため、当該号を保存している方からの情報提供を呼び掛けていきます。


参考資料
 

広報の主な歴史
主な出来事
1949年(昭和24年) 「平塚市弘報」のタイトルで10月20日に創刊。平塚市弘報委員会委員長の創刊の言葉のほか、「刀剣登録」「人は右側車馬は左側を」「婦人会が新生活運動」「列車時刻表」などの記事を掲載。
1950年(昭和25年) 第7号(11月15日号) 紙面に初めて写真を掲載<平塚競輪場>。
1954年(昭和29年) 号外(7月15日号) 初の号外。旭村との合併を特集。
1957年(昭和32年) 第63号(4月10日号) 一般広告を掲載。
第64号(5月10日号) 新聞折り込みによる配布をスタート、四コマ漫画「ひらつかさん」を掲載。
1994年(平成6年) 3月、平成5年3月15日の第500号を記念した「広報ひらつか縮刷版」を発行。
1996年(平成8年) 第573号(4月15日号) 紙面をカラー化<1日号1・4面、15日号1・8面>。
1997年(平成9年) 第610号(11月1日号) 平塚駅・コンビニエンスストアで配布をスタート。
1999年(平成11年) 第651号(7月15日号) ホームページ内に「広報ひらつか」のコーナーを開設。
2002年(平成14年) 第715号(3月15日号) 15日号4・5面をカラー化。6月にDTP(DeskTopPublishing・卓上出版)システムを導入、第729号(10月15日号)から本格編集開始。
2003年(平成15年) 第740号(4月1日号) 須賀・馬入地区で新聞折り込み配布をスタート。全市で新聞折り込み配布が可能に。
2005年(平成17年) 第800号(10月1日号) 市役所1階市民ホールで「800号記念展」を開催。
2009年(平成21年) 第900号(12月1日号) 中央図書館1階ホールで「広報ひらつかで見る平塚の60年展」を開催。
2010年(平成22年) 第908号(4月第1金曜日号) オールカラー化。発行日を毎月第1金曜日・第3金曜日に変更。配布方法を新聞折り込みからポスティングに変更。
2011年(平成23年) 第945号(10月第3金曜日号) 第3金曜日号を8ページ化。オール8ページ体制に。