光明寺縁起書  1巻

  • 光明寺縁起書
こうみょうじえんぎしょ

市指定重要文化財
所有者  光明寺(こうみょうじ)
指定   昭和35年3月31日
 宝永7年(1710)、遠江国浜松城主松平宗俊の家臣である田副秀典が、金目観音堂の縁起を聞き、それを記して奉納した巻子本。 縁起書には次のような内容が記されている。
 大宝2年(702)、漁師が、相模国小磯の浜で、たまたま長さ7寸の観音像を拾いあげた。これにより威霊盛んになる。天平年中(729~749)、行基が観音像を彫り、前記観音像をその中に納めると、その威徳はますます盛んとなった。永延2年(988)、花山天皇の勅命により坂東 三十三所巡礼第7番に定める。源頼朝は、伽藍(がらん)を修復し治承7年には天下泰平の祈願所とした。応永年中(1394~1428)は戦乱により寺社は疲弊したが、元和年中(1615~1624)には復旧した。その後たびたび金目川の洪水に遭い堂舎が崩壊していたのを、元禄10年(1697)に、慶賀が再興した。
 ここに書かれていることは必ずしも事実ばかりとはいえないが、光明寺の伝承としての来歴を知ることができる。

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