弥生土器(甕2点)
やよいどき かめ2てん
平塚市指定重要文化財
所有者 平塚市(ひらつかし)
〔平塚市教育委員会所蔵〕
指定 平成27年2月4日
SK051 口径22.5cm 器高27.3cm
SK052 口径28cm 器高34.8cm
平塚市指定重要文化財
所有者 平塚市(ひらつかし)
〔平塚市教育委員会所蔵〕
指定 平成27年2月4日
SK051 口径22.5cm 器高27.3cm
SK052 口径28cm 器高34.8cm
真田・北金目(さなだ・きたかなめ)遺跡群は平塚市の北西、秦野市方面から東に張り出した北金目台地の先端に位置する。北金目台地は、金目川と弘法山の南を流れる大根(おおね)川に挟まれた半島状の台地で、区画整理事業に伴い、平成7年より約245,000平方メートルの発掘調査が実施された。
資料はこの遺跡群の29B区(王子ノ台遺跡)の土坑から出土した甕である。土坑は51号・52号土坑(SK051・052)の2基で、いずれも長軸3m程の長方形をなす。甕は各土坑から1点ずつ、底面付近からまとまって出土した。
甕は口唇部に指頭押捺(しとうおうなつ)、胴部に条痕(じょうこん)を施すが、52号土坑出土の甕は、底部に小さな穿孔が施される。いずれも破損していたが、ほぼ完形に復元された。これらの土坑は、形態と時期、底部の穿孔等から再葬墓(さいそうぼ)と考えられ、これらの甕は再葬墓に伴う副葬品と考えられる。
これらの甕は弥生時代中期中ごろに比定され、従来須和田(すわだ)式土器と呼ばれていた土器群である。近年の研究では須和田式の末期ないし継続する時期の土器群として、中里(なかざと)式土器、王子ノ台式土器と呼称することも提案されている。これらの甕が出土した地点は、東海大学で調査し、同時期の土器群が出土した王子ノ台遺跡に隣接する地点であり、弥生時代中期中ごろの王子ノ台遺跡の一部と考えられる。位置関係から、この時期の集落と墓域の関係を知るうえでも貴重である。
東海大学内出土資料とともに、南関東における本格的弥生文化のはじまりを告げる時期のまとまった遺物として、平塚市のみならず、神奈川県内でも少ない標準資料として貴重な存在である。
資料はこの遺跡群の29B区(王子ノ台遺跡)の土坑から出土した甕である。土坑は51号・52号土坑(SK051・052)の2基で、いずれも長軸3m程の長方形をなす。甕は各土坑から1点ずつ、底面付近からまとまって出土した。
甕は口唇部に指頭押捺(しとうおうなつ)、胴部に条痕(じょうこん)を施すが、52号土坑出土の甕は、底部に小さな穿孔が施される。いずれも破損していたが、ほぼ完形に復元された。これらの土坑は、形態と時期、底部の穿孔等から再葬墓(さいそうぼ)と考えられ、これらの甕は再葬墓に伴う副葬品と考えられる。
これらの甕は弥生時代中期中ごろに比定され、従来須和田(すわだ)式土器と呼ばれていた土器群である。近年の研究では須和田式の末期ないし継続する時期の土器群として、中里(なかざと)式土器、王子ノ台式土器と呼称することも提案されている。これらの甕が出土した地点は、東海大学で調査し、同時期の土器群が出土した王子ノ台遺跡に隣接する地点であり、弥生時代中期中ごろの王子ノ台遺跡の一部と考えられる。位置関係から、この時期の集落と墓域の関係を知るうえでも貴重である。
東海大学内出土資料とともに、南関東における本格的弥生文化のはじまりを告げる時期のまとまった遺物として、平塚市のみならず、神奈川県内でも少ない標準資料として貴重な存在である。
注意
当文化財は普段は公開しておりません。
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社会教育課
〒254-8686 神奈川県平塚市浅間町9番1号 本館7階
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