かまど施設

重油点火作業

 重油で火をおこしていました。火加減の調整が非常に難しく、思うままの火加減で調理することができなかったそうです。また、煙突に煤がたまると、火がうまく点かないので、給食のない土曜日に煙突の煤を落とす掃除をしていました。お米をたくのも火加減が難しく、おこげが沢山できてしまうこともあったそうです。ごはんが給食で提供されるようになったのは、昭和51年からです。それまでは、毎日パンがでていました。このような施設は昭和58年まで使用されていました。
家庭の調理器具と違い、給食の調理器具は、大きくて 迫力がありますね。
  • 崇善小学校(昭和32年頃)重油点火作業の写真
  • 現在の回転釜の写真

ミルク二重釜

  • ミルク二重釜の写真
 奥の釜はミルク二重釜です。脱脂粉乳は焦げやすいので二重の釜でゆっくり溶かしていました。昭和22年からララ物資による、脱脂粉乳給食が開始されました。
 どんな、味だったのでしょうか。

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