6月定例市長記者会見 夏期特別展「平塚空襲 その時、それまで、それから」開催

令和3年6月25日

夏期特別展「平塚空襲 その時、それまで、それから」開催
平塚市側の説明

落合克宏市長:
 平塚市博物館では、夏期特別展「平塚空襲 その時、それまで、それから」を、令和3年7月16日(金曜日)から9月5日(日曜日)まで、開催いたします。
 平塚空襲をテーマとした特別展の開催は、1995年(戦後50年目)、2010年(戦後65年目)に続いて3回目となります。
 平塚空襲から75年を過ぎた現在、空襲体験者の高齢化も進み、市民の間でも空襲の記憶が薄れていくことが懸念されます。一方、博物館のワーキンググループとして空襲を調査・記録している「平塚の空襲と戦災を記録する会」の活動は30年を超え、証言集『炎の証言』も21号を発刊するまでに至っています。この間、同会の調査・研究活動により空襲による被害や空襲時の人々の行動の一端が明らかにされ、空襲にいたるまで、空襲後における市民生活の動向も少しずつ明らかになってきました。
 そこで、本展示では同会の活動成果を中心に、明らかにされた平塚空襲の実態とその前後の市民生活を紹介します。
 この10年間の会の活動や関連資料の精査によって、平塚空襲の犠牲者数や投下された焼夷弾の数なども見直されました。この成果に基づいて新たに作成した被災地図や避難経路を示した図などもより精度の高い内容となっております。
 平塚空襲の記憶と記録の継承をはかるとともに、平和と戦争について考える機会にしていただければ幸いです。
 関連事業につきましては、長年、地域の本土決戦体制の調査を続けられてきた市原誠さんによる記念講演会「二宮・大磯・平塚における日本軍の本土決戦体制」を7月25日に、展示の見どころを解説する展示解説会を7月31日と8月22日に実施いたします。いずれも事前申込制ですが、あわせてご参加ください。
 なお、展示資料や被災地図などを収録した「特別展展示解説図録」を発行しますので、合わせてお買い求めていただけましたら幸いです。
 私からの説明は以上です。

質疑内容の要旨

Q記者:今回この展示をやるきっかけや理由はあるか。
A市長:昨年が戦後75年ということで、本来でしたら昨年実施をする予定でしたけれども、(コロナ禍の影響で)1年延ばしたという形になります。このワーキンググループのいろいろな活動も含めて、今までは概略での説明を平塚空襲においてはしてきたんですけれども、より精査をして細かい部分が見えてきたということで、なおより詳しく1年たって75年を経過した平塚空襲の内容がだんだん明らかになってきたので、そういうことで展示をさせていただくということです。

Q記者:精査というのは、証言や資料を突き合わせて客観性が生まれてきたということか。
A学芸員:平塚の空襲と戦災を記録する会がこれまで証言を集めてきて、また資料とか突き合わせていくと亡くなった人の名前が分かったりして、それで明らかにこの方が亡くなったというのを積み上げてきて、正確に近い数字が見えてきたといったことです。

Q記者:精査してアップデートされた内容は。
A学芸員:犠牲者数ですけれども、前回(2010年開催)の展示の時は328人というふうに会のほうでは発表をしましたけれども、今回は363人と発表いたしました。あとは焼夷弾の投弾数ですけれども、焼夷弾の種類2種類あるんですけれどもそれを合わせてこれまでは44万7716本というふうにしてたんですけれども、米軍の資料を読み直して精査したところ、41万2961本ということになりました。あとその他は、(「港地区焼失状況復元地図」を指さしながら)この赤と青で塗り分けがしてあるものですが、前回の時にこれと同じようなものを展示したのですが、さらに地元の方の聞き取りとかを踏まえてもっと燃えている所が分かったりとか、あるいは燃えていると思われていたところが燃えていなかったりとかそういったところですね。あとは前回の展示ではなかった地域もこういった地図もあります。そういったものが前回からアップデートされたものです。

Q記者:アップデートされた数字というのは、昨年までに分かっていたものなのか、この1年で変わったものなのか。
A学芸員:特に地図についてですね、これは1年間いってみれば猶予ができたということもありますので、この間も会員の方が地元のほうに伺っていろいろ聞いたりなどしましたので、この1年間もアップデートの作業をしていました。

Q記者:焼夷弾と死者の数は。
A学芸員:焼夷弾の数はもう少し前に分かっていたのですけれども、死者の数については昨年度にもう一度改めて精査をしてその時に363人と決めてそれからは変わっていませんので、一応昨年度の結果となります。

Q記者:空襲の展示は、前回の時以来の開催ということか。
A博物館館長:1回目の特別展が戦後50年、その次が65年という節目の年に開催してまいりまして、今回も本来は75年目にやる予定で、3回目ということになります。

Q記者:これまでの活動で空襲の前後の市民の生活の動向が分かったということだが、市民の生活がどう変わったということでどういうことが言えるのか。
A学芸員:これまでは主に空襲の当日についての調査を会や博物館でしてきたんですけれども、いろいろと聞く中で、やっぱりあの時が戦争の始まりだったんだなということを聞くことがあったんですね。それでいろいろと見ていきますと、(「平塚空襲頃の日本軍の本土決戦体制図」を指さしながら)こちらの地図は空襲の直前まで平塚・大磯・二宮辺りにたくさん軍隊が駐留して、それで山のほうにはたくさんの陣地壕が作られていたんですね。こういうような中で空襲の話を聞くと終戦が8月15日でその1カ月前に空襲を受けたので、もっと早くに戦争を終わらしていれば平塚市も空襲を受けなくて済んだのにという残念がる声を聞くのですけれども。ただこう見ていくと、それどころではなくて地域ぐるみで戦争を迎え撃つような状況、体制が地域でできていたということが分かりまして。空襲当日だけではなくてその前も見ていくことによって、やっぱり戦争を止めたりするっていうことはなかなか難しいんだなということが分かってきて。というようなところが、いきなり戦災のように空襲が降って湧いてきたのではなくて、その前の様子や市民の生活を見ていくだけでも、だんだん戦争というのが抜け出せないというか、その結果として空襲になったというのが分かるようになってきたというところです。
A市長:(特別展を7月16日(金曜日)に始めることに関連して)私のほうから平塚の空襲についてご説明させていただきます。平塚空襲は、ちょうど終戦の1カ月前、昭和20年7月16日午後11時32分から翌17日午前1時12分まで行われました。今回再度精査したところ焼夷弾が41万2961本。それで改めて死者を確認したところ363人。それから罹災者3万5336人、全焼3263戸という大きな大きな被害を受けました。これは平塚のまちが復興していく、(その原因となった)平塚が受けた戦災の中心の空襲の被害でありまして、その後市民が頑張っていろいろまちを復興していく中で区画整理を行ったり、また七夕も復興のお祭りということで位置付けて行ってきました。競輪もこの戦災があって復興するために市のほうで申請して始まったということです。そういう経緯があります。ですから、平塚の空襲が平塚のまちの大きな打撃となり、そこから平塚が復興してきたという、そういう大本となる空襲であります。

その他の質問

Q記者:オリンピックまで1カ月を切ったが、事前キャンプはどのような状況か。
A市長:ご存じのように、リトアニア共和国のパラリンピックの事前キャンプは平塚で行わないということを発表させていただきました。オリンピックにつきましては、リトアニアオリンピック委員会の事前キャンプの責任者の方2人が7月4日日曜日に平塚に入る予定でございます。それから選手におきましては、7月7日に水泳チームが平塚に入りまして、その後東京2020大会の競技日程に合わせて。順次、選手・コーチなどが事前キャンプを実施する予定になっております。

Q記者:オリンピックの事前キャンプが行われることについて市長の気持ちは。
A市長:これまで4年以上かけてリトアニアと交流してまいりまして、テストキャンプも含めて、またその時には市民との交流も行ってまいりました。特に子どもたちとの交流もいまだに続いていますけれども。本来であればパラリンピアンもオリンピアンも平塚を事前キャンプで使っていただき、トレーニングをして本大会に臨んでもらえる。そしてその中で市民・子どもたちと交流ができれば一番良いんですけど、このコロナ禍の状況ではそれは難しいなと思います。距離を保って接触をしないでというガイドラインも国からの指示で作ってまいりますけれども、そういう対応を含めてコロナ対策を行い、リトアニアの選手の人たちには活躍をしてほしい。そのために、平塚市がしっかりと応援ができればなと思っています。

Q記者:リトアニアの選手団の方たちも含めて万全な対策を採られると思うが、泉佐野市のような状態になった場合はどうするのか。
A市長:入国時の検査で陽性の判断がされた場合は、東京大会の組織委員会によって隔離措置、その後の対応が行われることになります。大会組織委員会から必要な情報を得て、一定の指示などを確認して実施する予定です。なお、陰性が証明された選手につきましても濃厚接触者としての判断をどうするのか、また受け入れマニュアルでの対応手順が不明確であるなど課題が出てきましたので、今後の対応については、県を通じて内閣官房オリパラ事務局などの関係機関からの情報収集・手順の明確化などに努めまして、適正で安全な措置がとれるよう対応してまいりたいと思っています。

Q記者:空港での濃厚接触者の判断については、政府では受け入れの自治体や保健所でやってくれという話も出ているようだが、平塚市はどうするのか。
A市長:まだ具体的な対応方法が決まっていませんけれども、まずは水際でしっかりと対応してもらって、もしこちらに来た時には、もちろん保健所や県といったところが、どういうふうな対応をしていくのか、どのように隔離をするのか。ご存じのように平塚は市民病院がありますので、万が一そういった状況が起きた時には、この地域のコロナ対策の重点拠点となっている市民病院も含めて安全対策をしていきたいと思っています。
Aオリンピック・パラリンピック推進課長:その件については、県を通じて内閣官房オリパラ事務局に要望を出してもらっているのですが、ここで内閣官房オリパラ事務局からその件に関して説明会があるという情報がありました。どこまでの内容かは確認をしてから、当然平塚市としても対応を詰めていきたいと思っています。

Q記者:例えば平塚市や保健所で対応をしてくれと言われた場合、現実として対応できるのか。
Aオリンピック・パラリンピック推進課長:まず一義的には、これまで(平塚市とともにホストタウンになっている)神奈川県と一緒に、平塚保健福祉事務所と今回の受け入れに関して協議をさせていただいております。ただ物理的な距離の問題とか内容の把握というのは当然課題があると思っておりますので、そこを保健所、県を含めて関係機関とどう調整をとっていくのかというのが当然課題と考えております。

Q記者:平塚市のほうからも空港に出迎えに行かれると思うが、何も知らないまま接触してしまう可能性があるわけで、しっかりと空港で誰が濃厚接触者でというのを判断した上で送迎をするというのが理想的だと思うが。
A市長:水際対策のところでしっかりと対応していただくのが筋ではないかなと思っておりますので、それは国への要望、県への要望もしてまいりたいと思っております。それに関して、オリパラ担当の職員には先日、優先接種の対象としてワクチンの接種もやりました。またボランティアの接種につきましても現在、(優先)接種の範囲の中で庁内で調整をしながら実施をしていきたいと思います。

Q記者:事前に接種をしてからということか。
A市長:そういうことです。

Q記者:国への要望について、具体的な要望内容は。
Aオリンピック・パラリンピック推進課長:先ほどの話の泉佐野市での課題が判明しましたので、当然受け入れ自治体、県、内閣官房の役割というのを明確にして、安全面を当然第一に健康を考慮してほしいということは伝えてあります。

Q記者:今のコロナの感染状況について、市長はどのように捉えているか。
A市長:ここでまん延防止等重点措置の措置区域から外れましたが、その後も多い日では6人、通常は(感染者が)2~3人出ています。ですから、収束というか感染が収まってきているという判断はしていません。懸念しているのは、そのほとんどが20~30代なんです。ですから今後ワクチン接種についても、これから少し考えていかなくてはいけないのかなと。これはまだ確定ではありませんが、まずは7月末までの高齢者のワクチン接種を行って、今60~64歳の方に接種券を発送していますので、その後、59歳以下の方たちの接種を進めていきたいと思っています。今の感染状況については、例えばクラスターが起きた飲食ですとかそういうところには産業関係から注意喚起の文章を流すとか、ポイントポイントではできるだけ平塚市ができる感染対策については行っていますが、なかなか(感染者が)0になるまでの状況ではないと判断しています。

Q記者:この状況の中でオリンピックが1カ月後に行われるが、開催の是非についてはどのように考えているのか。
A市長:国が観客数を決めたりしていますので、それからもう1つはアスリートがオリンピックを目指して頑張ってきたというその成果の発表ですので、私としては国が進めていくということであれば、安全対策を施した上で平塚市ができることは進めていきたいと思っています。

Q記者:首相は「安全安心な大会の開催」ということを国会でも繰り返していた。この大会の開催で感染拡大は起こらない、起きないと考えるか。
A市長:起こらないという断言はできませんが、本当にやるからには安心安全、それがあっての上での開催ではないかと思いますので、国におかれましては、平塚市はリトアニアを受け入れるのですから、そういうことも含めて安心安全の対策を施してもらう、そういった上での開催をしてもらうべきだと思っています。

Q記者:首都圏や平塚で仮に感染拡大が起きた場合の責任の所在はどこにあるのか。
A市長:それを言われると苦しいのですが、市としては、感染拡大が起きないように市民・事業所含めて安心安全対策、クラスターが起きないような状況(作り)に対応して、いろいろお金をかけてきましたし、そういった中でコロナ対策を進めています。引き続きこの対策を進めながら、感染拡大にならないような対策を進めていきたいと思っています。

Q記者:昨日、宮内庁の西村長官が天皇陛下の発言に関して、「陛下は大会の開催で感染拡大はしないかご懸念されていると拝察している」という発言があったが、この報道に接して、感染に対してどのような考えを持っているか。
A市長:コロナの今の状況について、危惧されているのかな、心配されているのかなという(ご趣旨の)ご発言だと思いますので、それを受けてわれわれ国民がオリンピックを開催するなら、コロナの感染をしっかりと抑えるような安心安全対策をしなければいけない、そういう思いでお話を伺いました。

Q記者:昨日県が県内のワクチン接種率を公表した。平塚市の高齢者2回目の接種率が10.08%ということで、この数字をどう受け止めているか。
A市長:この数字は数字でしっかり受け止めなければいけないと思っております。しかしながら、担当に確認したところ、(県の発表は)6月22日時点のもので、その時点で1回目の接種の登録ができていない件数が約4000件ありました。接種はしているんですけれども、登録が遅れてしまっているという状況の中での数字だと思っております。平塚の場合は今週21日の月曜日から市役所で平日集団接種が始まりました。1日当たり1500人、5日間で7500人ですので、それだけで高齢者の10%が接種を受ける形になります。これを7月9日まで実施すると30%ぐらい率が上がります。平塚の場合は前を向いて計画的に進めておりますので、今回の数字は今回の数字で受け止めますけれども、先を見据えた中で7月末までの高齢者の接種をしっかりと、それも平塚の場合は高齢者の約8割の接種枠を確保して、着実に安全に進めていきたいと思っております。

Q記者:都道府県別の接種率をみると神奈川県は低いが、その理由は何だと思われるか。
A市長:そもそも国からの医療従事者分のワクチンの供給が2カ月遅れてスタートしました。平塚の場合は早々に接種計画を作って準備を進めておりましたけれど、スタート段階から遅れが生じたことが1番の理由かと思っております。その後の対応については、平塚の場合は5割を個別接種としていましたが、最初に医師の接種が進まなかったので遅れてきたですとか、いろいろ要因があると思っています。しかし、繰り返しになりますが、接種計画を作り、高齢者については菅首相が号令をかけられましたけれども、7月末までの高齢者接種を何としても達成するための準備を進めておりますので、神奈川県内におきましても各自治体本当に頑張ってもらって7月末を目指すと思っております。

Q記者:医療従事者の接種が進まなかった理由は何だと思うか。
A市長:やっぱりワクチンの供給が遅れたというのが、そもそもスタートが遅れた理由だと思います。
 
定例市長記者会見における質疑内容を広報課広報担当でとりまとめて掲載しています。

記者発表資料

平塚市
担当 博物館 学芸担当 川端・早田
電話 0463-33-5111

夏期特別展
「平塚空襲 その時、それまで、それから」開催

 
 平塚空襲から75年を過ぎた現在、空襲体験者の高齢化も進み、市民の間でも空襲の記憶が薄れていくことが懸念されます。一方、博物館のワーキンググループとして活動する「平塚の空襲と戦災を記録する会」の活動は30年を超え、証言集『炎の証言』も21号を発刊するまでに至っています。この間、同会の調査・研究活動により空襲による被害や空襲時の人々の行動の一端が明らかにされ、さらに、空襲にいたるまで、空襲後における市民生活の動向も少しずつ明らかになってきました。そこで、本展示では同会の活動成果を中心に、明らかにされた平塚空襲の実態とその前後の市民生活を紹介します。平塚空襲の記憶と記録の継承をはかるとともに、平和と戦争について考える機会にしていただければ幸いです。
 

主催

 平塚市博物館
 

日時

 令和3年7月16日(金曜日)~令和3年9月5日(日曜日)
 休館日 月曜日(8月9日は休日開館、8月10日(火曜日)は振替休館)
 開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
 

場所

 平塚市博物館(平塚市浅間町12-41)
 

主な展示物

 被災状況復元地図 避難経路図 被災した平塚市内の写真 空襲体験画 警防団関係資料(腕章等) 海軍火薬廠関係資料(写真・火薬研究資料等) 学徒勤労動員関係資料(日記・鉢巻き等) 戦後生活資料(闇市購入品・家庭用油脂購入券等) 戦後教育関係資料(切り取られた教科書等)
 

展示構成

1 その時―平塚空襲の実相 

 1平塚空襲の概要 2『作戦任務報告書』に見る平塚空襲 3空襲被害の実相

2 それまで―空襲への道のり

 1軍需の町平塚 2生活と精神の総力戦 3戦局の悪化の中で 4空襲の激化と本土決戦の構え

3 それから―空襲後のくらし、終戦後のくらし

 1終戦前後 2終戦後の生活
 

関連事業

  • 記念講演会「二宮・大磯・平塚における日本軍の本土決戦体制」

 講師 市原 誠氏(郷土史研究家)
 日時 7月25日(日曜日) 午後1時30分~3時 事前申込制

  • 展示解説会

 日時 7月31日(土曜日)、8月22日(日曜日) 午後1時30分~2時30分 事前申込制
 

出版物

  • 特別展展示解説図録『平塚空襲 その時、それまで、それから』 A4版 92ページ