旧横浜ゴム平塚製造所記念館の概要

建物の概要

  • 建設年   明治39年(1906)か明治40年(1907)  
  • 設計者   日本火薬製造株式会社平塚工場の建設監督として英国ノーベル社から派遣されたカーリとその補助であるウィルソンによって設計されたと推測されています。
  • 建築面積  225.90平方メートル(応接室 約36平方メートル、第1会議室 約64平方メートル 第2会議室 約53平方メートル)他にトイレ、廊下、ベランダ。部屋の名称は横浜ゴム(株)呼称
  • 構造    木造平屋、塔屋付
  • 仕上    屋根平鉄板葺 外壁ドイツ下見板張
  • 基礎    石造及び煉瓦造(一部コンクリート)布基礎

建物の沿革

 艦砲用の無煙火薬の製造を目的とした日本火薬製造株式会社の支配人執務室として建築されました。
 大正8年に同社が日本海軍に買収され海軍火薬廠となってからは、この建物は横須賀水交社平塚集会所として利用されました。水交社とは日本海軍の少尉候補生以上の武官と高等文官をもって組織された懇親団体です。
 戦後、横浜ゴム株式会社がこの建物を含む火薬廠の敷地の払い下げを受け、主に応接室や会議室として利用されてきました。昭和30年に神奈川県で第10回秋季国体が開催された際には、行幸された昭和天皇の休憩所としても使用されました。
 海軍時代に一部改造されますが、昭和30年に修改築が施され、概ね創建当初に近い姿に蘇りました。

日本火薬製造株式会社について

 日本政府とアームストロング社、チルウォース社(ヴィッカーズ社との説もあります)、ノーベル社の英国3社の合弁会社として、平塚町と大野村にまたがる官有地と民有地を買収した38万坪(後に42万坪に拡大)の地に、明治38年(1905)12月5日、資本金総額1万ポンドで創立されます。本社(店)は英国のロンドンに置かれ、平塚には支店が置かれました。

建物の評価

 市内では唯一、県内でも数少ない明治時代の洋風建造物であり、多少の改変はあったものの明治創建時の姿をとどめています。『神奈川県近代洋風建築調査報告書』(執筆:吉田鋼市横浜国立大学大学院教授)では「小規模ながら明治期の木造洋風建築の佳品たることは確かである」と評価されています。
 建築的に特徴ある箇所として、よく整った塔屋の形、主屋のアーチ型の窓やその上下に施された装飾、北側の壁に設けられたベイウインドウ(出窓)などが挙げられます。
 また、日本火薬製造株式会社~海軍火薬廠は、その後の多くの軍需工場進出の礎となり、当市の工業の発展に大きく影響を与えたとともに、平塚が空襲を受ける一因ともなりました。この建物は日本爆発物製造株式会社時代の施設のうち現存する唯一の遺構であり、平塚の近代史のシンボルとしても評価できます。

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