五領ヶ台貝塚
ごりょうがだいかいづか
国指定史跡
所有者 平塚市(ひらつかし)
指定 昭和47年7月29日
国指定史跡
所有者 平塚市(ひらつかし)
指定 昭和47年7月29日
五領ヶ台貝塚は、縄文時代中期の貝塚をともなう遺跡で、大磯丘陵の最東端に張り出した舌状 台地の東西斜面に位置する。
この貝塚にはじめて着目したのは金目に住む郷土史家森照吉氏で、大正14年(1925)になって石野瑛氏によってはじめて発掘調査が行われた。その後何度か発掘調査が行われ、その研究成果も発表された。その中で、昭和12年(1937)、発掘された資料に基づいて山内清男氏は「五領ヶ台式土器」の設定を提唱した。これによって五領ヶ台貝塚は、縄文時代中期初頭の標 式遺跡としてその名を知られるようになる。
数次にわたる調査で、縄文土器、石器、魚類や鳥獣の骨、貝殻などが大量に出土している。遺跡のある場所は、縄文時代中期にはすぐ近くまで海が入り込んでいたと考えられ、出土した資料によって、そこで営まれた漁撈(ぎょろう)生活の様子の一端をうかがい知ることができる。
この貝塚にはじめて着目したのは金目に住む郷土史家森照吉氏で、大正14年(1925)になって石野瑛氏によってはじめて発掘調査が行われた。その後何度か発掘調査が行われ、その研究成果も発表された。その中で、昭和12年(1937)、発掘された資料に基づいて山内清男氏は「五領ヶ台式土器」の設定を提唱した。これによって五領ヶ台貝塚は、縄文時代中期初頭の標 式遺跡としてその名を知られるようになる。
数次にわたる調査で、縄文土器、石器、魚類や鳥獣の骨、貝殻などが大量に出土している。遺跡のある場所は、縄文時代中期にはすぐ近くまで海が入り込んでいたと考えられ、出土した資料によって、そこで営まれた漁撈(ぎょろう)生活の様子の一端をうかがい知ることができる。
交通案内(JR平塚駅北口より神奈川中央交通バスを利用した場合)
五領ヶ台貝塚(平塚市広川735-3ほか)
2番乗り場・広川経由東海大学行ほか 「金旭中学校入口」下車 徒歩5分
2番乗り場・広川経由東海大学行ほか 「金旭中学校入口」下車 徒歩5分
案内地図
このページについてのお問い合わせ先
社会教育課
〒254-8686 神奈川県平塚市浅間町9番1号 本館7階
代表電話:0463-23-1111
直通電話:0463-35-8123(社会教育担当) /0463-35-8124(文化財保護担当)
ファクス番号:0463-34-5522