「ふるさと歴史かるた」を販売しています

内容

  • ふるさと歴史かるた画像 ふるさと歴史かるた(かるたと解説書がセットになっています)
 この全市版の「ふるさと歴史かるた」は、ふるさとの自然や歴史などを題材として、ふるさとの再発見を通して、次代を担う青少年や市民のみなさんに郷土への誇りや愛着を高めていただくとともに、異世代間コミュニケーションへの呼び水となることを願って、市制施行70周年を記念して作られました。
 一般公募が行われた「ふるさと歴史かるた」の読み札には、小学校三年生の児童から最高齢は90歳の方まで924名の方から、平塚を象徴する45の題材に、3,814首もの力作が寄せられました(ひとりで76首を投稿された方もいます)。いずれの作品も、ふるさと平塚を大切にする気持ちが伝わってくる作品ばかりで、選考委員会でも、選考に非常に苦慮しました。
 児童から大人までが楽しみながらふるさと平塚を発見し学ぶことができ、また読み易さも加味して、慎重に審査した結果下記の45首が選出されました。「ふるさと歴史かるた」の原画は、田口雅巳氏(故人)に描いていただきました。
 
 現在は社会教育課(平塚市役所 本館7階)・博物館・美術館で販売(1セット500円)しています。
 

ふるさと歴史かるた「読み札」(いろは順)

 

いろは順

読み札

題材

家康が ほっと一息 お茶屋寺 

お茶屋寺

ロマンスが 今なお伝わる 虎御前 

虎御前

花水の 川面を染める 花がすみ 

花水川

仁王様 守る金目の 観音堂 

金目観音堂

星に手が 届きそうだよ 湘南平

湘南平

平安に 咲いたなでしこ 更級日記 

なでしこと更級日記

遠く富士 青田の原に 遊ぶ鷺

白鷺と田園風景

父の日に バラの花束 プレゼント

ばら

陸の王者 D52すぐにも 動きそう

蒸気機関車

ぬれた手に あゆの背キラリ 相模川

相模川

ルネッサンス 21世紀の 江戸見附 

江戸見附と平塚宿

わんぱくっ子 みんな集まれ 総合公園

総合公園

貝がらが 歴史を語る 五領ヶ台

五領ヶ台貝塚

頼朝の 馬飛び込んで 馬入川

馬入川と源頼朝

田村ばやし 笛鉦太鼓の 夏まつり 

田村ばやし

列なして 木谷にいどむ 囲碁まつり 

木谷實と囲碁

袖ヶ浜 明治を今に 扇松 

扇松

伝え聞く 与一の勇姿 お天王さん 

真田与一とお天王さん

念力で また里帰り かんまんさん

かんまん不動

中原御殿 徳川幕府の 基礎を練り

徳川家康と中原御殿

ランナーの たすきも走る 遊歩道

湘南遊歩道と箱根駅伝

村井弦斎 食道楽で 名をはせる

食道楽と村井弦斎

海風に 若さはじける ビーチパーク 

ビーチパーク

野火の難 タケルが逃れた 島ヶ原 

ヤマトタケルと島ヶ原

大塚山 古代を映す 神獣鏡 

真土大塚山古墳

くすの木の 緑のオアシス 八幡宮 

くすの木と平塚八幡宮

焼け野原 火薬廠跡に 平和を築く

海軍火薬廠

真清水に 蛍のあかり みどりの里山 

ほたると里山

献上酢 江戸へ届けた 中原街道

中原街道

富士大山 仰ぎて渡る 田村の渡し 

田村の渡し

合格で めでたく目をぬる 相州だるま

相州だるま

遠足の 足取りはずむ 霧降の滝 

霧降の滝と吉沢のため池

展望の七国を 峠でひとりじめ

七国峠・遠藤原

天の川 願いが叶う 七夕まつり

七夕まつり

三人づかい 今に伝える 前鳥座

前鳥座

きらきらと 光る海原 しらす漁

しらす漁

夕映えの 平塚海岸 富士はるか

平塚海岸

名門の ほまれを今に 三郡共立学校 

三郡共立学校

見渡せば コスモス一面 花づつみ

光と風の花づつみ

湘南の ビッグウエーブ ベルマーレ

湘南ベルマーレ 

控え土手 今は纒の さんぽ道

金目川の控え土手

もののふの おたけびいずこ 岡崎城址

岡崎四郎義実

世界の絵 ぼくの絵見られる 美術館 

美術館

須賀湊 相模の恵みの 集散地 

須賀湊

京の姫 静かに眠る 平塚の塚

平政子と平塚の塚

ふるさと歴史かるた45題材と解説

いろは順

題材

説明

お茶屋寺 徳川家康は鷹狩りの時、豊田本郷にある清雲寺にしばしば立ち寄り、この寺の井戸の水を使ったお茶を飲んだ。そのため大門に「お茶屋寺」の碑が立っている。

虎御前 「曽我の仇討ち」で有名な曽我兄弟の兄、十郎祐成の恋人・虎御前。後に出家し、兄弟の菩提を弔ったという。山下地区には、山下長者屋敷、文塚跡、住庵の跡など、彼女にまつわる遺構が多い。

花水川 桜の名所。源頼朝が花見に来たが、すでに散っていたため「花見ず川」となったという伝説がある。江戸時代に河川改修が行われ、現在の流路となった。堤防上にはサイクリングコースもある。

金目観音堂 坂東第七番の札所で、702年建立と伝えられる。現在の建物は元禄年間に再建された。本堂内厨子は国指定重要文化財に指定されている。前を流れる金目川の堤は、春になると満開の桜が美しい。

湘南平 2000本の桜と湘南の海岸線から丹沢、富士、伊豆半島まで見渡せる景色のいいところ。昭和32年、当時の戸川市長が名づけた。かつては千畳敷とも呼ばれた。神奈川景勝50選にも選ばれている。

なでしこと更級日記 平安時代、菅原孝標女の「更級日記」の中に、もろこしが原と大和なでしこが書きしるされている。もろこしが原は、現在の唐が原であると考えられている。なでしこは市民の花でもある。

白鷺と田園風景 鷺塚をはじめ、平塚には鷺にまつわる逸話が多い。相模川や金目川などでは、今もその姿を見かける。県下第一位の水田地帯や丘陵部の緑の風景とともに、残していきたい心安らぐふるさとの姿。

ばら 平塚で代表的な花といえば、ばら。神奈川名産50選にも選ばれ、日本有数の生産量を誇っている。栽培品種も様々で、研究にも余念がない。このばらを使ったワインやサブレなども作られている。

蒸気機関車 文化公園に、昭和44年からD52型蒸気機関車が展示されている。昭和20年製造で、引退前は御殿場線で活躍した。ボランティアにより維持補修がなされ、毎年子どもたちの写生会も開かれている。

相模川 山中湖を源に、神奈川県中央部を南北に貫き、相模湾に注ぐ川。かつては鮎が豊富に上り、船運も盛んだった。現在は上流にダムや取水ぜきができ、水量が減った。周辺は工場地帯となっている。

江戸見附と平塚宿 昨年11月、東海道五十三次の江戸から7番目の宿場である平塚宿に、明治の写真をもとにして「見附」が復元された。見附は宿場の境を示す構造物で、写真をもとにした復元は、ほかに例がない。

総合公園 湘南ベルマーレの本拠地でもある陸上競技場、プロ野球も開かれる平塚球場、プールや武道場もある総合体育館などがそろう公園。子どもに人気のわんぱく広場やふれあい動物園などもある。

五領ヶ台貝塚 広川地区で発掘された貝塚で、縄文時代中期の基準資料となる土器が出土。考古学上の重要遺跡として国指定史跡に指定されている。この様式の土器は、遺跡の名前から五領ヶ台式土器と命名された。

馬入川と源頼朝 山中湖を源に、神奈川県中央部を南北に貫き、相模湾に注ぐ川。かつては鮎が豊富に上り、船運も盛んだった。現在は上流にダムや取水ぜきができ、水量が減った。周辺は工場地帯となっている。

田村ばやし 田村の八坂神社に伝わる祭ばやし。京都から来た楽人が編曲したと伝えられる。鎌倉時代に、この地にあった三浦義村の館との関係を伝える伝承もある。笛のリードで曲が変化していくのが特徴。

木谷實と囲碁 木谷實九段は昭和12年から36年間、桃浜町に住み、美春夫人とともに「木谷道場」と呼ばれた自宅で多くのプロ棋士を育てた。彼の功績をたたえる「囲碁まつり」が、毎年開催されている。

扇松 袖が浜海岸通りにある黒松の大木。市の保全樹にも指定されている。扇を開いたよう枝ぶりから、この名がついたという。明治中期に、近くに建てられた後藤象二郎伯爵の別荘は二扇庵と名づけられた。

真田与一とお天王さん 源頼朝の石橋山合戦で知られる真田与一義忠。彼が崇敬した真田神社の7月9日の祭礼は「お天王さん」「ほおづき祭り」などと呼ばれ、かつては農具市が立ち、田植えの終期としてにぎわった。

かんまん不動 木造の不動明王立像。国重要文化財で平安時代後期の作と考えられる。地元では「かんまんさん」と親しみを込めて呼ぶ。2度、盗難にあったが、その都度発見された。現在は八剱神社にある。

徳川家康と中原御殿 中原御殿は鷹狩りのためだけでなく、幕府の基礎を固める政治の場として使われた。跡地には東照宮が建てられたが、その後、日枝神社に移された。中原小学校の敷地が、ほぼ御殿の場所に相当する。

湘南遊歩道と箱根駅伝 湘南海岸沿いを通る国道134号のかつての通称。昭和11年、県道横須賀大磯線として開通したころは交通量も少なく、こう呼ばれた。現在は、正月の「箱根駅伝」で知られる。

食道楽と村井弦斎 明治・大正時代の作家。グルメ作家の元祖。小説「食道楽」が国民的人気を呼び、その印税で平塚に広大な邸宅を構え、入手困難な食材を自ら調達。各界の著名人を招き、「食道楽」の世界を実践した。

ビーチパーク 一年中ビーチバレーなどが楽しめるビーチスポーツのメッカ。ボードウォークは若者に人気の新名所。ビーチセンターには温水シャワーやトイレ、軽食の売店などもある。

ヤマトタケルと島ヶ原 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征の折、野火の難を逃れた物語を古事記は伝えている。

真土大塚山古墳 4世紀半ばに砂丘上につくられた古墳で、相模国を支配していた豪族の墓と推定されている。三角縁四神二獣鏡が出土し、現在東京国立博物館に保管されている。

くすの木と平塚八幡宮 市民の木・くすの木は関東地方から九州に多く、常緑の高木で高さ30メートルになる。「かながわの美林50選」に指定され、市街地の緑のオアシスともなっている八幡宮の森などで、見事な林が見られる。

海軍火薬廠 有数の火薬製造所を大正8年に海軍が買収し、海軍火薬廠とした。一時は8500人が働いた。平塚空襲で壊滅的な被害を受けたが、当時の迎賓館・水交社の建物が横浜ゴム記念館として残っている。

ほたると里山 人の手が入らなくなって荒れた里山を、よみがえさせる活動が始まっている。市内西部の丘陵地域では、ほたるが今も自生している場所がある。子どもたちのためにも、みんなで守りたい財産。

中原街道 中原御殿と江戸城を直線的に結ぶ脇街道として徳川家康が改修造営させた。途中、小杉にも御殿が設けられた。中原酢を運んだため「御酢街道」ともいわれ、特に物資流通路として栄えた。

田村の渡し 相模川の渡し場。古くから陸奥に続く街道の渡し場であったという。江戸時代には、大山参詣の大山道や中原街道の渡し場としてにぎわった。大山、富士山を仰ぎ、景色がよい場所としても有名。

相州だるま 大野地区で農閑期の副業として作られていた。八王子から伝えられたといわれる。現在でも、数軒が製作しており、市の推奨品となっている。縁起物として今も人気が高く、年末年始には市が立つ。俳。

霧降の滝と吉沢のため池 重なりあった岩から霧のように流れ落ちる滝。松岩寺裏山の深い木立の中にある。この滝の下流に昭和10年、農業用水用として作られたのが吉沢のため池。周辺は散歩コースとして人気が高い。

七国峠・遠藤原 甲斐、駿河、伊豆、相模、安房、上総、武蔵の七か国が一望できたという七国峠(標高182m)。富士山や箱根、大山など雄大な山並みが望め、季節の花が美しい遠藤原。ともに平塚市の最西端にある。

七夕まつり 平塚を代表する夏の風物詩で、毎年7月上旬に開催される。日本三大七夕まつりの1つ。豪華絢爛な竹飾りやパレードで知られ、毎年300万人以上の観光客を集める。一昨年50周年を迎えた。

前鳥座 四之宮に伝わる三人遣いの人形浄瑠璃芝居。江戸時代中期に始まったと考えられる。第2次世界大戦前後に活動が中断したが、昭和27年に再興され、現在は県の無形民俗文化財に指定されている。

しらす漁 平塚の特産物・しらす。かつては地引き網で取っていたが、現在は船引き網が主流。また、生しらすは取れたてでないと味わえない絶品。このしらすで作る「たたみいわし」も名産品となっている。

平塚海岸 相模川から花水川まで約4.8km続く海岸。砂丘や松林など、自然のままの姿が多く残されており、家族連れや釣り客などでにぎわう。ここから望む富士山や箱根連山は特に美しい。

三郡共立学校 五郡共立小田原中学校が経営難で廃校となったため、明治19年、大住、淘綾、足柄上郡の三郡共立学校として金目宗信寺に開校した。この学校が、後に平塚農業高校、秦野高校のもとになった。

光と風の花づつみ ポピー、ラベンダー、コスモスなどが楽しめる、相模川河川敷の広大な花畑。ボランティア中心で管理運営されている。北隣には、水辺の自然を体験しながら学べる「水辺の楽校」もある。

湘南ベルマーレ  かつて中田英寿も所属したJリーグチーム。現在、J2リーグで奮闘中。大神にクラブハウスと練習グラウンドがある。サッカーを通して、ホームタウンへの貢献活動を進めている。

金目川の控え土手 堤防を越え洪水となった水を再び金目川に戻すため、控え土手がいくつか築かれた。「纒さんぽ道」として再整備された控え土手は、市内に残る最も大規模なもので、当時の姿を今に伝えている。

岡崎四郎義実 三浦一族の出身。岡崎に居を構え、相模国西部に勢力を持つ中村氏と姻戚関係を結び、開発を進めた。真田与一、土屋次郎の父親。源頼朝の旗挙げ以来の功臣。一本気な鎌倉武士としての逸話が伝わる。

美術館 「湘南の美術・光」がメインテーマ。湘南にゆかりの作品などの収集を進めている。展示やワークショップを開催するほか、市民の創作の場としても使われている。昨年、開設10周年を迎えた。

須賀湊 相模川河口に開けた自然の港。小田原北条氏のころ須賀千軒と呼ばれ、物資の集散地として栄えた。明治20年に東海道線が開通すると、物流の中心は平塚駅周辺に移った。

平政子と平塚の塚 桓武天皇の孫・高見王の娘・政子が東国に向かう途中、この地で亡くなった。その墓としてつくられた塚が平らになったため、平塚の地名が起きたという。「平塚の塚緑地」として整備されている。

田口雅巳氏プロフィール

略歴

 1936年4月5日、東京生まれ。1945年以降湘南地方に住む。神奈川県立鎌倉高校卒。在学中から公募団体展(自由美術展ほか)、グループ展に出品、創作活動を続ける。現在まで個展を中心に洋画、日本画、立体造形、版画など多彩な作品を発表。日本美術家連盟会員。湘南の風景をライフワークとして描く。1960年に初めて個展を開き、ついに今年100回目を迎えた。現在、読売新聞朝刊金曜日の「編集委員が読む」に挿し絵を掲載している。
 ※2010年7月、74歳で逝去されました。
 

主な執筆

 著書 「やさしい風景画入門」、「旅のスケッチらくらくBOOK」(金園社)、
    「しょうなん素描」(江ノ電沿線新聞社)、「しょうなん電車の旅」(ICA企画)、
    「やさしい風景画」(ナツメ社)ほか
執筆 10周年総集編「来世紀のことを言うとアートが笑う」(21プリンツ)、
    田口雅巳2001年2001点展「祝と呪」(版画芸術2000)、ほか
 

個展歴(主な画廊)

  第1回個展 1960年サトウ画廊、第2回目以降は画廊企画展。村松画廊(旧)、ふじきギャラリー、姫路画廊銀座ルーム、松村アートギャラリー、渋谷パルコ、松屋銀座・遊びのギャラリー、エリナ画廊、ギャラリーモテキ、東邦画廊、泰星画廊、ぎゃらりー信天、ギャラリーWIZ、画廊フクスケ、楓画廊、マツザキ画廊、ギャラリーいのうえ、藤沢小田急百貨店、寒川町民センター、平塚画廊、湘南しんきんギャラリー、ギャラリー華沙里、岐阜パルコ、ギャラリーやまもと河鍋暁斎記念美術館、グレイボックスギャラリーなど
 

その他

 1992年「江ノ電沿線かるた」絵札原画制作
第30回「ひらつか七夕まつり」(1980年) アロハシャツのデザインを手掛ける。
「ひらつか七夕まつり」竹飾り審査委員 ( 第30回~37回 ) 
 

平塚市美術館所蔵作品

 「晴姿江戸夕映 八百屋お七」(1973年 油彩キャンバス652×806mm) 

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社会教育課

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直通電話:0463-35-8123(社会教育担当) /0463-35-8124(文化財保護担当)
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