新町遺跡第12地点

調査概要

  • 新町遺跡第12地点 調査位置
所在地  平塚市新町622-1外26筆
調査主体 株式会社 玉川文化財研究所
調査面積 約2,668m2
調査期間 令和4年11月28日~
             令和5年7月14日 
発見遺構 竪穴住居址 (古墳時代)
     竪穴状遺構、火葬墓、土坑、
     溝状遺構、ピット、畝状小溝群
           (奈良・平安時代)
     土坑、溝状遺構、ピット列 
           (近世以降)
発見遺物 土器    (縄文時代・弥生時代)
     土師器、須恵器、灰釉陶器、
     緑釉陶器、金属製品
           (奈良・平安時代)
     陶器、磁器 (中・近世)

調査成果

  • 調査地点遠景(南東から撮影)
 発見された遺構の内訳は、古墳時代後期の竪穴住居址1軒、奈良・平安時代の竪穴状遺構2基、土坑62基、火葬墓3基、溝状遺構10条、ピット366基、畝状小溝群多数、近世以降の土坑11基、溝状遺構38条、ピット列1列です。出土遺物の総量は、整理箱で約12箱分を数えます。
 時期的には、縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良・平安時代、中世、近世にわたりますが、主体をなすものは奈良・平安時代に属する土器類です。
 以下、時代ごとに調査成果を紹介します。
縄文時代・弥生時代
 ごく僅かな土器が奈良・平安時代の層に混ざって出土しましたが遺構は確認されませんでした。
古墳時代
 調査区西側の中央部で、竪穴住居址が1軒発見されました。規模は、東西4.4m、南北3.7mと東西にやや長い方形を呈します。竈は住居址北壁に構築されていました。
 出土遺物はごくわずかでしたが、土師器煮沸具の特徴から古墳時代後期に構築された住居址と考えられます。
  • 古墳時代後期~奈良・平安時代全景(画像上が西)
  • 1号竪穴住居址全景(南から撮影)
奈良・平安時代
  • 1号竪穴状遺構遺物出土状況(東から撮影)
 今回の調査成果の中心となった本時期の遺構は、竪穴状遺構2基、土坑62基、火葬墓3基、溝状遺構10条、ピット366基、畝状小溝群多数が検出されています。
 竪穴状遺構2基は、調査区中央東側と、調査区北西端で検出されました。遺物は土師器が多く出土していますが、調査区中央東側の竪穴状遺構からは灰釉陶器の碗や皿が見つかっています。
 土坑は、円形と方形の平面形に分類することができました。円形の土坑は調査区全体に分布する一方で、方形の土坑は調査区南東側に集中する傾向がみられました。
 溝状遺構は10条検出しました。このうち調査区北側で交差する2条(1号溝状遺構・2号溝状遺構)は出土遺物から同時期に埋没した可能性が考えられます。
 畝状小溝群は、調査区中央部よりもやや南側から北側にかけて広範囲に分布する様子が捉えられました。これら溝の底面には工具の痕跡が多数残っていたことから、畑作など耕作に関連する遺構と考えられます。
近世以降
  • 近世以降 遺構全景(画像上が西)
 近世以降の調査では、土坑、溝状遺構、ピット列が発見されました。これらの遺構群はいずれも同一方向連続的に構築される様子が確認できました。このことから、これらは方格基準の土地区画によって配置が規制されていたものと考えられます。

まとめ

 近年の調査成果の蓄積により、新町遺跡を包括する砂州・砂丘第3~4列における奈良・平安時代の遺跡の基本構造が徐々に明らかになりつつあります。各遺跡に共通して、砂丘上には居住域が、緩斜面~低地域には生産域が展開する様子がこれまでの調査で明らかにされてきました。
 今回の調査においても、奈良・平安時代には円形の土坑や溝状遺構、畝状小溝群などが数多く発見されたことから、当該地は畑作を中心とした生産域であることが類推されました。

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