新町遺跡第13地点
調査概要
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新町遺跡第13地点 調査位置
所在地 平塚市新町622-1他
調査主体 株式会社 玉川文化財研究所
調査面積 2,207m2
調査期間 令和5年2月13日~8月31日
発見遺構 溝状遺構、竪穴状遺構、土坑、
ピット (奈良・平安時代)
溝状遺構 (中・近世)
発見遺物 石器 (縄文時代)
土器 (弥生時代)
土師器、須恵器、灰釉陶器、
緑釉陶器、瓦、獣骨
(奈良・平安時代)
土器、陶器、磁器、石製品、
獣骨 (中・近世)
調査主体 株式会社 玉川文化財研究所
調査面積 2,207m2
調査期間 令和5年2月13日~8月31日
発見遺構 溝状遺構、竪穴状遺構、土坑、
ピット (奈良・平安時代)
溝状遺構 (中・近世)
発見遺物 石器 (縄文時代)
土器 (弥生時代)
土師器、須恵器、灰釉陶器、
緑釉陶器、瓦、獣骨
(奈良・平安時代)
土器、陶器、磁器、石製品、
獣骨 (中・近世)
調査成果
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遺跡近景(南東から撮影。右後方大山)
今回の調査では、奈良・平安時代の溝状遺構231条、竪穴状遺構1基、土坑19基、ピット11基と、中・近世の溝状遺構28条が検出されました。
遺物は、縄文時代、弥生時代、奈良・平安時代、中・近世のものが出土しましたが、主体となるものは奈良・平安時代の遺物でした。遺物の合計量は整理箱3箱分を数えます。
以下、時代ごとの内容を紹介します。
遺物は、縄文時代、弥生時代、奈良・平安時代、中・近世のものが出土しましたが、主体となるものは奈良・平安時代の遺物でした。遺物の合計量は整理箱3箱分を数えます。
以下、時代ごとの内容を紹介します。
縄文時代・弥生時代
いずれの時期も遺構は発見されませんでしたが、遺物が出土しました。
縄文時代の遺物としては、縦形の石匙1点、弥生時代の遺物としては、壺と鉢の破片それぞれ1点が見つかりました。
縄文時代の遺物としては、縦形の石匙1点、弥生時代の遺物としては、壺と鉢の破片それぞれ1点が見つかりました。
奈良・平安時代
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奈良・平安時代全景(西から撮影)
当該期の遺構は、溝状遺構231条、竪穴状遺構1基、土坑19基、ピット11基が検出されました。
遺物は、土師器、須恵器、灰釉陶器、緑釉陶器、瓦、獣骨などで特に9世紀代の土師器坏を中心としていました。
遺物は、土師器、須恵器、灰釉陶器、緑釉陶器、瓦、獣骨などで特に9世紀代の土師器坏を中心としていました。
検出した遺構の内訳は溝状遺構が大半を占めますが、この中には区画性が看取される大規模な溝状遺構が13条含まれていました。このうち、調査区中央北側に位置する東西方向の大溝(H1溝状遺構)は今回の調査区の中で最も規模が大きく、砂丘斜面と砂丘間凹地の地形境に作られていることがわかりました。この溝による土地規制の下で奈良・平安時代の遺構は構築されていた可能性が考えられます。
この溝の北側(凹地)では、南北方向を主とする溝状遺構の集中分布と比較的規模の大きい区画溝が、南側(砂丘縁辺)でも、南北方向の溝状遺構を中心に円形土坑群や竪穴状遺構、ピットが形成されていました。
南側で検出された溝状遺構の中には、838年に噴火した神津島天上山の火山灰が含まれているものも見られたほか、何らかの儀礼行為に使用したと考えられる馬の歯列も発見されています。
この溝の北側(凹地)では、南北方向を主とする溝状遺構の集中分布と比較的規模の大きい区画溝が、南側(砂丘縁辺)でも、南北方向の溝状遺構を中心に円形土坑群や竪穴状遺構、ピットが形成されていました。
南側で検出された溝状遺構の中には、838年に噴火した神津島天上山の火山灰が含まれているものも見られたほか、何らかの儀礼行為に使用したと考えられる馬の歯列も発見されています。
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H1号溝状遺構(西から撮影)
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神津島天上山火山灰出土状況
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ウマ歯列出土状況
中・近世
溝状遺構28条を検出しました。遺物は、陶器、磁器、土器、石製品、獣骨が出土し、大半は近世の資料でした。
溝状遺構は、東西方向に延びるものが11条、南北方向に延びるものが16条、北西-南東方向に延びるものが1条という内訳でした。大半は直線的な溝ですが、調査区南側のK1号溝状遺構については、砂丘の縁辺部に沿うように緩やかに蛇行していました。また、このうち7条の溝状遺構からは中層~上層で1707年に富士山が噴火した際に降下した宝永火山灰の純堆積層が観察されました。
溝状遺構は、東西方向に延びるものが11条、南北方向に延びるものが16条、北西-南東方向に延びるものが1条という内訳でした。大半は直線的な溝ですが、調査区南側のK1号溝状遺構については、砂丘の縁辺部に沿うように緩やかに蛇行していました。また、このうち7条の溝状遺構からは中層~上層で1707年に富士山が噴火した際に降下した宝永火山灰の純堆積層が観察されました。
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中・近世全景(南東から撮影)
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宝永火山灰堆積状況(西から撮影)
まとめ
今回調査を行った新町遺跡第13地点は、調査区域の南端が第4砂丘列の北側、南側から中央部分は斜面地、北側は第3・4砂丘列間の凹地に該当します。調査の結果、この場所は奈良・平安時代から近世にかけて溝状遺構を中心とする生産域が分布する状況が続いているとわかりました。これらの様相は、西側隣接地の新町遺跡第11地点や北東に近接する新町遺跡第10地点の南側の遺構分布状況とも類似しています。
近年の調査事例の増加に伴って、大まかに砂丘上には竪穴住居や掘立柱建物等の居住域が、砂丘上から凹地にかけての斜面および砂丘間凹地には溝状遺構や円形土坑群を中心とする生産域が広がることがわかっており、今回の成果もこれらに沿うものとなりました。
近年の調査事例の増加に伴って、大まかに砂丘上には竪穴住居や掘立柱建物等の居住域が、砂丘上から凹地にかけての斜面および砂丘間凹地には溝状遺構や円形土坑群を中心とする生産域が広がることがわかっており、今回の成果もこれらに沿うものとなりました。
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