姉妹都市 ローレンス市~カンザス大学を中心とした学園都市~
ローレンス市は、アメリカ合衆国カンザス州の北東部に位置し、人口は約9万人。カンザス大学およびハスケルインディアン大学の広大なキャンパスを擁する学園都市です。
カンザス大学が開設されたのは、町が開かれて12年後の1866年で、以来ローレンス市とカンザス大学はともに発展を続けてきました。ハスケルインディアン大学はアメリカ原住民とアラスカ原住民の学生のために1884年に創立されました。ローレンス市内には美術館や博物館などの教育文化施設が数多くあり、人口10万人以下の都市としては全米屈指の整備状況といわれています。
平塚市とローレンス市は、平成2年に姉妹都市の提携を結び、平成27年には姉妹都市提携25周年を迎え、ローレンスから市民訪問団が来平しました。平成28年には姉妹都市提携25周年答礼訪問として公式訪問団がローレンスに滞在しました。
ローレンス市へのアクセス
カンザス州北東部
(カンザスシティの西50km)
交通(主なルート)
成田⇒ダラス⇒カンザスシティ
(11時間30分)⇒(1時間35分)
成田⇒シカゴ⇒カンザスシティ
(11時間30分)⇒(1時間50分)
成田⇒ロサンゼルス⇒カンザスシティ
(9時間55分)⇒(3時間50分)
カンザスシティ空港からローレンス市ダウンタウンまで
車で約60分
ローレンス市の歴史
ローレンスの歴史はゴールドラッシュを機に1843年頃から開拓者たちがオレゴン街道を通って西部を目指した時代に始まります。
1854年米国議会で制定されたカンザス・ネブラスカ協定により、州域が決定され、両州の奴隷に対する自治が認められました。ボストン出身の開拓者たちは、この年蒸気船でコー河を上り、奴隷解放の拠点となる町を開き、移民救援社を設立します。ローレンスという地名はこの救援社の出資者エイモス・ローレンスにちなんでつけられました。折しも南北戦争が勃発し、奴隷制廃止の立場をとるローレンスは、1856年5月21日と1863年8月21日の2回にわたって奴隷維持派から攻撃を受けました。特に、2度目の攻撃はクワントリルの攻撃と呼ばれ、ミズーリ州の兵士300人が住居や商店を破壊し当時の一般市民2,000人のうち150人を殺害。町が廃虚と化す惨事となりました。
その後、「灰から永遠に」と町のシンボルモニュメントに刻まれているように、開拓者たちが石と煉瓦で町の再建に励み、今日の繁栄の礎を築きました。 1866年カンザス大学設立と同時に、ローレンス市は学園都市として発展を始めます。1912年当時2,500人だった学生は現在その10倍になり、全米でも有数の整備された学園都市となりました。
町に残る石や煉瓦造りの建物として、ワトキンス博物館、コートハウス、エルドリッジホテルなどがあり、オールド・ウェスト・ローレンスと呼ばれる地域には、19世紀の家々が手入れを施されて現存しており、古き良きアメリカを偲ぶことができます。
ローレンス市新図書館
トレイン・デポ
この建物の裏側には貨物線の線路が通っており、貨物列車が走っていました。
カンザス大学自然史博物館
動物がどう進化していくかを研究しており、人間の病気であるエボラ熱、ジカ熱など最先端の研究もしています。
同じ建物内に生物多様性研究所があり、そこでは両生類の研究をしています。建物(ダイチホール)はカンザス大学で最も美しい建物の一つと言われて、100年以上前に設計されました。フランスの教会をモチーフとして造られ、4階の構造となっており、日々改修しているそうです。
ローレンス・とぴっくす
- フレンドシップガーデン(日本庭園)
- 「Go!ジェイホークス!!」 カンザス大学のスポーツ
- 歴史の町ローレンス
- 芸術の町
- 緑の多いまち ~南公園~
- エルドリッジホテル