市長コラム

 市長が市政などに関する思いをつづった「市長コラム」を、広報ひらつか第3金曜日号に掲載しています。
 広報ひらつかに掲載した「市長コラム」の内容をご紹介します。

令和3年(2021年)7月

歴史を学び、伝える

  • 空襲後の平塚のまち 平塚空襲後の市内の被災状況(米国立公文書館蔵)
 7月16日は、平塚市の歴史の中で決して忘れてはいけない、平塚空襲の日です。終戦1カ月前、昭和20年7月16日午後11時32分から100分間で41万2961本もの焼夷弾が市街地に投下され、死者363人、罹災者3万5336人、全焼3263戸という大きな打撃を受けました。

 空襲で荒れ果てたまちを何とか再興させたいと、人々が歯を食いしばって働いてきた様子は、平塚市歌(昭和27年制定)でも「鎚の音 力みなぎり 人の波 街をあやなす」と歌われています。区画整理された駅周辺のまち並みや、復興を祝う事業として始まった七夕まつりなど、戦後の取り組みの数々が、今も平塚市の誇りとなっています。

 平塚空襲から76年。空襲体験者の高齢化も進み、市民の間でも空襲の記憶が薄れていくことが懸念されています。そこで市博物館では、平塚空襲をテーマとした特別展を開きます(2・3面を参照)。

 今回は、戦後50年目(平成7年)と65年目(同22年)に続き3回目。「平塚の空襲と戦災を記録する会」の研究活動を通して平塚空襲の実態がより明らかになるとともに、その前後の市民生活も紹介されています。例えば、空襲の直前には軍隊が駐留し、陣地壕が作られ、地域ぐるみで戦争を迎え撃つ体制ができていたこと。空襲は降って湧いてきたのではないこと。そして、戦争を止めることは難しいという現実が浮かび上がります。

 私が幼い頃は、戦中戦後を生き抜いた人から話を聞くことがあり、戦争の断片を日常生活の中で感じ取ることができましたが、現在はそれも難しくなりました。多くの方にこの特別展をご覧いただき、平和と命の尊さを考えていただきたいと思います。

 平塚空襲による被害を乗り越えて今の平塚市があることを考えると、わがまちには難局を跳ね返せる力が備わっているはずです。新型コロナの渦中でも将来を見据え、市政を前に進めてまいります。
 

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